今日、鹿島アントラーズの内田篤人選手が引退した。最後の試合(J1第12節ガンバ大阪戦)は、ハプニングによって想定より早めの前半16分からの途中出場になったけど、ファンにとっては彼のプレーする姿を最後に目に焼き付けるには良かったのではないか。最後に1-1に追いついたのも、彼の前線へのフィードからだった。やはり、彼は最後まで諦めていなかった。
彼は同世代だし、ずっと活躍を見てきていた選手だったので、とても寂しい。去年の8月には、内田選手について綴ったノンフィクション「内田篤人 悲痛と希望の3144日」を読んだ。彼の折れずに努力し続ける姿勢に心を打たれた。本当にお疲れさまでしたと言いたい。
「内田篤人 悲痛と希望の3144日」読了。昨日の夜、読み始めて、どんどん読めた。やっぱり上手くいかない時に、もがいて、あがいて、最後まで粘りきった人の人生って深みがある。逆に、さっさと諦めちゃうと、なんの深みもないし、人の心を打たない。#内田篤人 pic.twitter.com/LSHI0wdBym
— ネバーギブアップ男@はてなブログ (@eigo_kanzen) 2019年8月17日
30歳を超えてくると、同世代のスポーツ選手が引退することが増え、自分も歳を取ったこと、それによって果たすべき役割も変わってきていることを再度自認するきっかけになったりする。彼が鹿島の三連覇(2007~2009)に貢献していたのも、感覚的にはそんなに昔のことには感じない。でも、その後にドイツのシャルケに移籍しブンデスリーガやチャンピオンズリーグで活躍、そして鹿島に戻ってきて、引退。一人のサッカー選手が頭角を現し、全盛期を迎え、引退する。それだけ時が流れていることを改めて感じずにはいられない。
これから、本田や長友、岡崎、香川など、私の中のアイドルたちが続々と遠くない未来に引退していくだろう。でも北京オリンピックで結果が出せず「谷間の世代」と評されたところから泥臭く這い上がり、史上最高と言っていい程の大成功の世代となった彼らなら引退後も多種多様な方面で活躍してくれそうな気はしている。
時が経過すると、与えられる役割、期待される役割が変わっていく。それはスポーツ選手もそうだし、私のような一般サラリーマンもそうだと思う。そして、長い間活躍するためには役割の変化に対応できるような準備が必要になってくる。実際に、長い間活躍した選手はこの時の経過とともに生じる変化にうまく適応した選手ばかりだ。
そういう意味で変化を恐れず、「環境が変わってしまったらおしまい」とならないように、引き出しを増やしておく必要がある。今取り組んでいることは継続しつつ、新しい引き出しを増やしていく意識は常に持っておくようにしたい。引き出しを増やすには、現状の自分的にとって居心地の良くない仕事を率先してやっていく必要がある。それにはストレスも伴うが未来の自分のためと思って頑張っていこう。